「仏頂面」  

「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる、よき人に近づけば覚えざるによき人となる也。」

これは、道元禅師が示されたたとえで(『正法眼蔵随聞記』)、よく知られている。
ドイツの作家、ゲーテのことばに、「不機嫌ほど大きな罪はない」というのがあった。
これを聞いたとき最初,わたしは人間がときに不機嫌になるのはやむを得ないのに、それを罪だと言われると困ってしまう・・・とおもった。

けれどもよく考えてみると、不機嫌は周りの人々まで巻き添えにする ものであって、その意味ではたしかに大きな罪なのである。

不機嫌な時こそ陽気にふるまって

不機嫌なとき、ひとはよく仏頂面をする。あの”仏頂面”という言葉は密教の仏に仏頂尊があって、これがおそろしい面相をしているからだという。
あるいは不詳面(ふしょうづら)という言葉が転じたものだともいう。
ともかく、無愛想な顔、不機嫌な顔を仏頂面と呼ぶのであるが、あれはよくない。
誰かが仏頂面をしていると周囲までもがその影響を受けて沈んだ雰囲気になりおもしろくなくなる。

逆に陽気さというものも大きな伝染力をもっている。陽気な人間は周りを明るくする。
だから我々はイヤな出来事にぶつかったとき、それで不機嫌になってはいけない。
自分が不機嫌になると、周囲まで不機嫌にしてしまいそれが自分に跳ね返ってくる。
いやな出来事にぶつかればむしろ陽気になるように努めるべきだ。
そうすると周囲も明るくなり早くいやな出来事が忘れられるであろう。






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