「話すこと」
  

ただうち出して伝処いうところの言ばすら、無利の言説ごんぜつは障道の因縁なり。
況やいわん かくの、如きの言語ごんごはことばに引かれて即ち心も起りつべし。
最も用心すべきなり。


「正方眼蔵随聞記」

今は「らしさ」という言葉が嫌われる時代になり、それぞれの立場にふさわしい会話というのがなくなりつつあるようです。それにしたがって、おかれている立場の自覚も薄れてきているのかもしれません。
私たちは言葉を使って考えます。考えごとをするときに、静かなところで精神を集中させるのも大切ですが、人と話をするというのもひとつの方法です。会話の中から新しい考えが浮かぶということを数多く経験します。会話は、人に対して話をしているようですが、その多くは自分にも向いているのです。人に語りながら、自分に語りかけているのです。
勉強は、教わるばかりでなく、人に教えてみると理解のしかたが違います。信仰は、自分ひとりで祈るよりも、人に教えを説いてみるといっそう深まっていくものです。感激は、自分ひとりで味わうよりも、人とともに語り合えば喜びが倍増します。
会話が心を慰め、心を楽しませ、退屈をまぎらわすことは言うまでもありません。しかし、それだけが会話の役割ではないはずです。話をしながらものを考え、自覚を持つのです。会話によって人は成長していきます。また逆に、会話によって人は堕落していくこともあります。
話すことについて、真剣に考えてみませんか。