「修証義 第四章 発願利生に学ぶ」
  

同事というは不違(ふい)なり、自(じ)にも不違なり、佗(た)にも不違なり、譬えば人間の如来(にょらい)は人間に同ぜるが如し、佗をして自に同ぜしめて後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自侘(じた)は時に随(したご)うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故(このゆえ)に能(よ)く水聚(みずあつま)りて海となるなり。
同時の心は大海のごとく、どんな人をもこばまないこと

同事ということは「自他の区別がない」ということです。人はいつでも、自分の都合のいいことを善とし、都合の悪いことを悪として物を考え、行動するものです。

たとえば、大雨が降り続くと、人は水害だといいますが、自然は人をこまらせたリ災いを与えるために雨を降らしているわけではありません。雨はただ無心に降り、高きより低きに流れているだけです。

人が自然の水を利用して、水田を開き、あるいは川をせき止め、その段差を利用して電力をおこし、人の役に立つように使ったからといって、水は人に奉仕しているという考えも思いもありません。
自他の区別をつけない人間のあり方を学ぶ為に日常の心がけにしたいものです。