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「学道の人は、自解(じげ)を執することなかれ」 このことばは、わが国、曹洞宗の開祖の道元禅師のものである。 道を学ぼうとする人間は、自分の解釈に執着してはならない・・・・といった意味である。 わたしたちは、どうも自解に執しがちである。自解を基準にして、仏教(宗教)の教えをあれこれ批判してしまう。 たとえば、仏教では「少欲知足(しょうよくちそく)」を教えている。欲望を少なくし足(た)るを知れ! といった意味である。 この言葉は釈尊の遺言とされている。『仏遺教経(ぶつゆいきょう)』といった教典にでてくるし、道元禅師の『正法眼蔵』の中にも出る。したがってこれは釈尊の教えであり、道元禅師の教えなのだ。 にもかかわらず、現代人のうちにはそんな「少欲知足」であれば日本経済は発展しないし、会社は潰れてしまう。馬鹿なことを言ってもらっては困る・・・ そういった反論をされる人がいる。 その人は自解を盾にとって、釈尊や道元禅師の教えを否定しているわけだ。そのような態度は、およそ仏教者がとるべきものでない。(もちろん仏教が嫌いな人は、それでよいのであるが・・・) では、仏教者・・・道元禅師の言われる「学道の人」はどのような態度をとるべきか? 仏教の「教え」と「自解」が離れているとき、自解を捨てられる人間が仏教者なのだ。自解に執着していては、仏教者になれない。しかし自解を捨てても、そう簡単に教え通りに生きることはできないだろう。それはそれでいいのだ。ゆたっりと教えの理想を目指して歩んでいけばよい。 それが仏教者の態度だと思う。 |
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