毎日心がけると幸せになる!
「禅語」の教え
禅語とは、禅宗独特の言葉や用語のこと。
禅儒の中でも禅師の残された数々の言葉は、禅の心理を伝えるとともに
宗教を問わず生きることについて考えさせる深い趣があります。
その意味を知って日々の暮らしに生かしてみませんか。


日々是好日(ひびこれこうじつ)


中国唐時代の雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の言葉。
私たちは「いい日であるように」と祈ります。
しかし、私たちの人生には、雨の日も、風の日もあります。
どんなにつらいことがあった日であっても、その一日は二度とこない一日であり、かけがえのない一日。
「望みがかなった日がいい日」という条件づけを捨て去って、
一日一日を大切に生きたとき、生かされている幸せや心の安心が生まれます。
そして、そのとき、つらい一日も「好日」となります。
あえて「毎日がいい日」と言い切ることが禅の本質。
今日を「好日」と思って生きていくことが大切です。



一日作(な)さざれば一日食らわず


唐の時代、百丈(ひやくじょう)禅師が高齢になっても畑仕事を続けていたため、禅師の身体を心配して弟子たちが仕事道具を隠したところ、禅師はその日食事をしませんでした。
その理由を聞かれたときの答えがこれです。
食べるということは、たくさんの生命をいただくという行為。
私たちは生命を奪って自分の命を成り立たせています。
今日の自分は、食事でいただく、たくさんの命に値する仕事をしたのだろうか。
百丈禅師の自分自身への厳しい問いかけであり、日常の仕事を大切にしようとする気持ちを表した言葉といえます。



閉じる 地蔵堂かわら版メニュー 玉泉寺トップへ