「誰家無明月清風」  

「誰家無明月清風」・・・誰が家にか明月清風無からん・・・(碧巌録)

あかるい月の光やさわやかな風の届かない家がどこにあろうか。
すべての上に全く平等に月影もすずやかな風もゆきわたり、みちみちているのだよ、
心の窓を明けてごらん。
心の眼を開いてごらん。自分から窓を、眼を閉じているだけなんだよと呼びかける。

どんな人のどのような死も生きていることの果敢(はか)なさを感じさせる。
そのことに例外はない。
けれど、あらゆる人生が例外なく人間のみじめさを思い知らせるとは言えない。
人の一生は果敢ないけれど、決してムダではない。
そんな風に考えるとき何か大きなものに包まれるように思える。

時間というものが、ほんとうに過去から未来へ
一筋に流れているものかどうか…。
ほんとうは遙かにかすむ過去世から現在のこの時に一瞬のうちに飛び来たる大いなる想いがあるのではないか。いや、そればかりではない。
遠い未来の彼方から、まっすぐな眼差しで私たちの今を見つめる
光の束のような眸があるのではないか。
朝焼けの空を眺めて、そんなことを考えていると不可思議な如来の息吹に触れたような気がした。






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