「コツコツと」 | |
竹の響き妙(みょう)なりと元へども自ら鳴らず、瓦らの縁をまちて声を起こす。 花の色ろ美なりと元へども独り開くるにあらず、春風を得て開るなり。 永平寺の仏殿には、次の物語を欄間にして飾ってあります。 中国に香厳智閑(きょうげんちかん)という禅僧がいました。非常に聡明で勉強のよくできた人でした。 あるとき、お師匠さんから質問され、経典の一句ではなく、自分の言葉で答えよと言われます。 しかし、みなどこかで学んだものばかりで、自分自身の言葉がどうしても出てきません。 ついに、書籍、経典の一切を焼き、作務三味(さむざんまい)の生活に入り、掃除、耕作の毎日を送りました。 何年かたって、ある日掃除をしていると、ほうきで掃いた瓦のかけらが竹に当たり、その音を聞いてハッと気がつぎました。 これが「香厳の撃竹(きょうげんのげきちく)」といわれる話です。 霊運志勤(れいうんしごん)という禅僧は、修行の旅に出ている途中、山を越えて峠に出たとき、目の前に広がる桃の花の美しさを見て、ハッと気がつくところがあったといいます。 これが「霊運の桃花(れいうんのとうか)」と呼ばれる話です。 竹に石が当たる音を聞けば、みんな目が覚めるようなら問題ありません。 きれいな花を見たからといって、みんなが悟れるわけではありません。長い間の修行を積み、多くの縁を結び、その機が熟さないと気づくことができないのです。
修行したからといって、すぐに人間性が向上するわけではありません。 当分の間は見るべき成果もなく、足踏み状態が続くことが多いものです。 しかし、そこで投げ出しては何にもなりません。 いつか、何かのきっかけでパッと花が咲くように目覚め、大変身を遂げることがあります。 すぐに結果を求めず、長い間こつこつと積み重ねていくことにより大成するのです。 善き人に出会い、善き友と励み、しっかりと基礎の土台を築いてこそ、本物の人間ができあがるのです。 |
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