12月8日 成道会
12月8日は釈尊がお悟りを開かれた日、仏道成就つまり成道会とされております。
釈尊のご生涯は、一般的には26歳で出家、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマ・プッタの下で禅定修行をしましたが、すぐに師を超えてしまったため、6年の苦行に入ったとされます。

しかし苦行は無益と悟り、村娘のスジャータよりミルク粥の供養を受け体力を回復、ブッダガヤの菩提樹下で坐禅をしました。そして様々な誘惑や心の葛藤を克服し、この12月8日、明星を見て大悟し、「我と大地有情と同時に成道す」との言葉を発したと言われています。

「有情」というのは生命体のことですから、「大地有情」とは今なら全世界の全生命体とでも言うべきでしょうか。成道したのは釈尊だけであるはずなのに、全生命と同時に成道した、というのは何とも難しい言葉です。

しかし考えてみれば、真実というもの、実は釈尊の専売特許ではありませんよね。何しろ真実はどこか特別な場所に隠された財宝のようなものでもなく、例えばリンゴが木から落ちるといったようなことや、時間が不可逆であるということ等、人間がどうしようもない真実は幾らでも転がっているものであります。同様にどんな生命にも、そもそも生命という不可思議な真実が備わっているわけです。

してみると、そういった個々の真実を見る眼が備わった時、すべての生命体が真実……仏様に見える道理です。これは一大価値転換と言わざるを得ないでしょう。

昨日まで太陽が東から昇って西へ沈むと思っていても、実は地球が自転しているのだと学習するならば、その瞬間から太陽を見る眼が変わってしまいます。これと同様の感覚かも知れません、人々が昨日と同じ顔をしていたとしても、釈尊には実に生き生きとした真実の存在として見えたのでしょう。

ところで、悟ってしまえばそれで目標達成かと言えば、そうではありません。釈尊も悟っただけでそのまま亡くなられたとしたら、我々も仏教そのものを知らずにいたかも知れません。そこで釈尊成道をいち早く察知した梵天様が、しきりに説法を勧めることとなりますが、お悟りの内容は何しろ人知を超えた真実そのものであり、言葉でなかなか説明し難いので、釈尊も躊躇されたようです。

そこで釈尊は更に坐禅を続け、お悟りの内容を整理し、教えとして体系化されたと言います。そうして仏法を説いて、初めて釈尊が仏陀として認識されることになります。

そこには、自らの人生の問題を解決した釈尊が、同様に苦しむ人々を救おうとする大いなる慈悲の心が働いているわけです。自分だけ幸せならば良いというのではなく、他人にも幸せになって欲しいという気持ちがなければ、言葉では表現し切れる筈もない真実を説明しようなどと面倒臭いことを考えはしないでしょう。私たちですら、日常生活で、何かを説明する、誰かを説得するのが面倒臭い場合、さっさとあきらめてしまうのが常なのではないでしょうか。

そしてもっと大切なことは、お悟りになったからといって釈尊が修行生活を止めたのか、ということです。そんなことはないのであって、釈尊は死ぬまで坐禅をし、修行生活(苦行ではありません)を続けたわけです。すなわち坐禅を含めた修行生活そのものが仏様の生活なのです。

私たちは物事を見る際、実はその機能に本質を見ております。つまり机だと思った木工細工も、そこで寝ていればその机は実はベッドなのであり、そこに座ればイスだということになります。要は机というものが初めから決まっているのではなく、そこで勉強をするという用途・機能によって初めて机と判断されることになります。

同様に、釈尊が人間と同じ肉体を持っているのに、凡夫ではなく仏様と呼ばれるのは、釈尊が仏様としての機能を100%顕在化させているからなのです。従って逆に私たちが坐禅をした瞬間に自分自身が仏様として機能していることになります。

いやいや私は凡夫ですから、残念! それは無理です、などということを言うかも知れませんが、試しに泥棒の真似をしてみたとします。泥棒の真似をして何かを盗んだ瞬間に、正真正銘の泥棒になってしまいます。真似をしてみただけですと言ってもそんな言い訳は通用しません。坐禅もそれと同じこと、自分がどう思おうと、坐禅をした瞬間に仏様になってしまっているのです。ただ坐禅ないし修行生活を止めて日常の凡夫生活に戻った瞬間、立派な凡夫に戻ってしまうのですが。曹洞宗の生きた人間に対する宗教性は、自分はどれだけ仏でいられるか? という点にあるように思います。

さて、曹洞宗の修行道場ではこの釈尊の成道に倣って12月1日より坐禅週間に突入します。平常時の雑務を忘れ、ひたすら坐禅に打ち込むこととなります。悟り云々は別としましても、坐禅は時間に追われる毎日の中で見失ないがちな自分自身を再発見することは出来るかと思います。一般の方も受け容れている道場もありますから、機会があれば是非参加してみたら如何でしょうか。