曹洞宗の教えの根幹は坐禅にあります。
それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことに由来するものです。
禅とは物事の真実の姿、あリ方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることを指します。
そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。
曹洞宗の坐禅は「只管打坐」、ただひたすらに坐るということです。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。
坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。
私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振リまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。
道元禅師はまた、坐禅だけではなくすべての日常行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説かれています。
修行というと日常から離れた何か特別なことのように聞こえますが、毎日の生活の中の行い一つひとつを坐禅と同じ心でつとめ、それを実践し続けることが、私たちにとっての修行なのです。
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所謂坐禅(いわゆるざぜん)は習禅(しゅうぜん)には非(あら)ず。
唯(た)だ是(こ)れ安楽の法門なり、菩提(ぼだい)を究尽(きゅうじん)するの修証(しゅしょう)なり。
『普勧坐禅儀 ふかんざぜんぎ』 道元禅師
・・・・・坐禅をすること、それ自体が悟りである。
常に大慈大悲(だいずだいひ)に住(じゅう)して
坐禅無量(ざぜんむりょう)の功徳(くどく)、一切衆生(いっさいしゅじょう)に回向(えこう)せよ。
『坐禅用心記 ざぜんようじんき』 瑩山禅師
・・・・・常に慈悲心をもって坐禅の功徳を多くの衆生に手向けなさい。
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